森川は「奇形ザル」の写真を見て、
「これは自分の子どもや。インスタント食品ばっかり食べてる自分が子どもを授かったら、きっとこういう奇形の子どもが産まれてくるんや!
そやからこの奇形ザルはオレの子なんや!これは追いかけなアカン!天がオレに与えた使命や!」
…と、自分を猿であると規定するかのような大胆な仮説を立てたのであった。
どや、ちょっとこういうタイプのおっさんはおらんやろ?
思い付いたら即座に行動!これが森川法夫主義の鉄則である。報道局長に申し出て、全国各地のサルを追いかけ始めたのであった。
北は青森の下北半島の野生のサル、南は九州の「高崎山の野猿公園」、西は岡山の「我牛山野猿公園」、東は富士山麓の「野猿公園」と、全国奇形サルの発生している処を取材して回わったのである。
しかもこの取材活動を10年間も続けたのである。よくぞ金を出したな毎日放送!今じゃ絶対にでまい!
しかしこの「奇形ザル」取材のおかげで、「わくわく動物ランド」の撮影も任され、
のキャッチフレーズがついたのである。
そしてやがて、森川に決定的なものとの出会いが訪れる。それは森川にとって独自の世界を創るものであったが、諸刃の剣でもあった。
金がかかりすぎるのである。それとは…
であった。【続く】