この変わり身の早さと、動体でなければ務まらない「写真屋」は、森川法夫 には天職であったと言わざるを得ない。
しかし、停まっているものを撮す写 真だけでは満足できなかった。
動くもの、くるくるするもの、ニ〜〜ィッと 笑うもの、ひょろひょろ揺れる物が撮りたい!そう思ったら森川はすぐに動 く。
そしてたちどころに見つけたもの、それが
この監督の名前を聞いて「おう!」と思わず膝を打ったあなた!あなたは合格だ。すぐに森川法夫と組んで仕事をしなさい。
「はあ?」と言ったキミ。キミは今すぐ「土本典昭」とGoogleに打ち込んで検索しなさい。話はそれからや。
「水俣」「三里塚」「アフガニスタン」…土本監督がテーマにしたキーワードである。
森川はこの監督にシビレたものさ!
♪?シビレちゃったシビレちゃったシビレちゃったよ?♪てなもんである。
映像をやるんなら
そう思った。
そこですぐに監督に弟子入り・・・という風に進めば、森川の人生も変わっていたんやろうけど、そうはいかない。それが人生ですたい。
憧れは憧れのまま置いておく。するといつかどこかで必ず出会う!そう信じたんや。
ほんで、ともかく、「大阪の土本監督になったろやないか!」と若気の至りで考え、毎日放送の報道局に潜り込んだ。
その頃の報道はむちゃくちゃや。なんでも「報道や!」いうたら通用した。
大きいカメラ担いで「報道です!」といえば、罷り通った。北新地のクラブでも「報道や!」言えば、ちやほやしてくれたもんや。
あとできっちり請求書は送られて来たけどな。